【私見】日本人の「お上の決めたことは絶対」志向について

 

f:id:conjurer_p:20180818145026p:plain

こんにちは、コガサトシと申します。

 

先ほど、プロブロガーであるイケダハヤトさんが仰っていた

この論点はすごく面白い。変化の激しいこの時代にあっても、呪いのように「お上に従って生きる」考え方が蔓延しているのは確かに不思議です。というわけで自分の見解をアウトプットしてみたいと思います

 

 

「お上に従って生きる」=時代錯誤な志向

私は現在、かなり自由な人生を送っている。いわば「群れを嫌い、権威を嫌い、馴れ合いを嫌う、一匹狼のブロガー」とでも言えるか。そんな私だから、イケハヤさんのこのツイートには目から鱗だった。

 

世間の「立派な大人」像は、実はすべて「お上のいうことは絶対」志向から構成されている。これはじぶんには非常にリスキーで違和感のある考え方だった。全然"変態思考"じゃない。ただただ社会の通念をなぞっているだけ。

まさに、まさにですよ。これはまさしく、思考停止に他ならない。「自分で考えなくても、社会の通念をなぞるだけで生きている時代」というのは確かに存在したかもしれないが、それは現代においては通用しないと、私は思う。

「お上の言うことは絶対」志向。この考え方は、あらゆるコンテキストの中で"日本に特有のもの"として語られる。いわば日本固有の呪いだ。ここで「なぜ日本だけがこの悪弊に倣っているのか」を考えることは、個人的にも、社会的にも、無駄なことではないだろう。

 

考える前提として - 論点の再調整

イケハヤさんは、この志向を"いつから発現したものか"に着目して論点を提出されているが、これが日本及び東アジア地域で特異な現象であるならば、西洋事情との比較もあわせて行いたいところである。なぜなら、世界の歴史を紐解けば、封建制と強固に結託した身分制度はあらゆる地域に存在したから。

 

*紀元前にメソポタミア地域でおこった文明では、神官/官僚が強大な権力をもつ神権政治がおこなわれたし、

*古代ローマ帝国の系譜をたどる中世西ヨーロッパ地域は、領主⇔農奴の封建的主従関係が近代まで固定化した。

*また日本や中国など東アジア地域においても、封建的な小作人制度は名前や特性を変えながら変化していく。

*もちろん近代資本主義の餌食となったアフリカやラテンアメリカ、東南アジア地域は「国レベルで搾取対象」であった。

 

このような身分制の歴史は世界中いたるところに存在する。すなわち「お上の言うことは絶対」の風潮は、日本固有のものではなく、世界中どんな地域でもそのルーツは持っていた、ということ。

そこで考えたいのが、ではなぜ日本だけが特筆すべき特徴として「お上は絶対志向」を抱えているのかという点。ここまでくると、「なぜ日本にのみ発現したのか」ではなく「なぜ日本以外は発現を回避できた(打ち破ることができた)のか」と論点を調整しておいたほうがよかろう。

 

なぜ日本以外は発現を回避できた(打ち破ることができた)のか

簡潔に言えば、「他の国・地域は、身分制を下から破壊することに成功したから

 

その最も象徴的な時代が18世紀だ。この時代は、欧米地域で「産業革命」「アメリカ独立革命」「フランス革命」の3つの大事件が立て続けに発生し、圧迫されていた市民層が自由という凱歌を挙げることに成功した。

とりわけフランス革命では、市民の権利は明示的にあらわれる。第三身分とよばれた市民たちは、三部会開催を実現し、憲法改正のために立ち上がった。その結果、「人権宣言」を制定し、さらには共和政を実現させることができたのだ(その後ナポレオンによって崩壊するが)。

中国においても、20世紀初めに「辛亥革命」とよばれる象徴的事件がおこり、中華民国が建国された。それまでの満州人による支配からの脱却とともに、共和政を実現したのだ。

 

このように、外国では「下から身分制を破壊する運動」が展開された。これはいわば「権力に対抗した歴史」であり、ここから「お上は絶対志向」が発現されることはまずないだろう。

しかし、日本では、大化の改新しかり、江戸の3大改革しかり、明治維新しかり、どの改革も上からのものであった。日本には「下からの革命」は起こらなかったのである。逆に、あらゆる改革が「上からの改革」であった。日本が「お上は絶対志向」をかかえる要因は、まさにこの点である。

 

日本人は、これからどう生きていけばよいのか

現代にとって「お上は絶対志向」が時代錯誤の思想であることは、先ほど述べたとおりである。ではどうすればこの妄執を打破することができるのだろうか?

歴史からみると、下からの革命を起こすしか道はない、といえるだろう。このまま上に従い続けていても、何も変わらないし、その一方で外国はますます驀進していってしまう。

ただし一点。革命を起こすしかないといったが、なにも暴力革命である必要はない。今や個人の時代だ。インフルエンサーなんて言葉もあるが、個人が社会の流れを作りかえることができる時代なのだ。

日本人は、この時代に合った方法で、革命を起こすべきだ。思考停止を打破するためには、思考しなければならない。思考し、この時代に求められている我々日本人のあり方を見つめなおさねばならない。それが革命である。

と、何だか運動家のようなことを申し上げてしまったが、要は「自分で考えろ」ということだ。繰り返すが、思考停止を打破するためには、思考するしかない

 

日本人よ、思考せよ。

 

イケハヤさん、かなり面白い論点を提示してくださり、ありがとうございます。事後報告となって恐縮ですが、勝手に論点をつまみ食いしてしまったことが、イケハヤさんの気に触れてしまったなら申し訳ありません。