機械に仕事を奪われる時代はもう始まっておるよ。同志よ、今こそ挑戦の時だ
AIで「コミュ力」を採点するシステムが某企業で採用されるらしい
目的は、コミュ力を採点することによって、じぶんの営業力を自覚し高めていくため。
というのも、じぶんのコミュ力をじぶん自身で定数化して測ることは非常に難しい。したがって、AIが膨大なビッグデータをもとに営業マンの表情や話し方を採点して、相手に与える親しみやすさとかを定数化するシステムが生み出された。
AI なら信頼できるデータに基づいて判断するし、営業力をアップデートするには便利かもしれない。でも、ちょっと「ん?」って感じないだろうか?少なくともじぶんは、このシステムに違和感をおぼえた。
それはおそらく、「AIが」人間を「ビッグデータという型を用いて」分節していくことに対する反抗心だ。ここには2点ポイントがある。「AIが」という評価主体の話と、「ビッグデータという型を用いて」という評価基準の話だ。
第一に、評価主体の話。これまでわれわれは、人間の価値を図るときは、機械ではなくわれわれひとりひとりに固有の価値基準をもって評価してきた。たしかに企業の採用活動や学校での成績評価において客観的な基準を設ける例はある。しかしこの例でも、評価する主体は人間であり、最終的にすべて彼らの価値基準に委ねられている。
従来は人間が価値判断の主体であったが、今回、その座をAIに譲ることとなる。これが第一の反抗心だ。
第二に、評価基準の話。これまで、あらゆる人間評価は、評価主体であるわれわれ固有の価値基準を以て行われてきた。それがビッグデータに置き換わるのだ。ここで用いられるビッグデータがいかにわれわれを標本として抽出されたデータであっても、価値尺度をわれわれの外部にあるメディアに委ねることに反抗心を抱くのは何ら不思議な話ではない。
このように、評価主体と評価基準をAIという外部システムに明け渡すことに対して、われわれは反抗心を抱く。時代の流れといってしまえばそれまでだが、人間評価のあり方も機械に委ねられるようになるとは思いもしなかった。
この先の未来、このような「まさかこれを機械がやるなんてことはないだろう」と思っている仕事でさえも、どんどん機械が代行していくだろう。「AIによるコミュ力採点」に対して抱いた反抗心は、今後も増幅しつつ頻繁に姿を現すようになるだろう。このような時代にあっては、「われわれ人間には何が残されているのか」を常に考え続けなければいけない。考え続け、その答えを逐次先取りしつつ実行していかねばならない。
「機械にあらゆる仕事を奪われる」時代は、すでに始まった。もう、未来の話として思考停止するのはやめにしないか。我々は、この時代に対する漠然とした危機感を、圧倒的な思考能力によって乗り越えなければならないのだ。