【『エクソシスト』考】『エクソシスト』が当時のアメリカ社会に投げかけたかったものとは?

こんにちは!

クリスマスも終わり一気に年末ムードですね…。今回は、映画『エクソシスト』を取り上げて、ちょっとした論考をしてみたいと思います。以前詳しく読み解いたものがあったので、内容を少し改変しつつ再掲します。

 

はじめに―『エクソシスト』とは?

 『エクソシスト』は、少女リーガンに憑依した悪魔と神父との闘いを描いた、その後のオカルトブームの火付け役となったアメリカ映画です。

 

 ワシントンに住む女優クリス・マクニールは、ある日、一人娘リーガンの異変に気付く。可愛らしかった顔や声は邪悪さを帯び、猥褻語の連発や荒々しい言動などの普段とはまったく正反対の行動をとるようになったのです。そこでリーガンははじめ医者に連れていかれるのですが、身体の異常は見受けられません。そして、担当する医師はだんだん彼女を見放すようになっていきます。

そんなとき、友人の映画監督バーク・デニングズの殺害事件が発生してしまいます。バークの死体はクリスとリーガンの住居の真下にある高い石段の下に転がり、その首は完全に真後ろにねじれていました。そこでクリス宅を訪れた担当のキンダーマン警部補は、「殺されて、娘(=リーガン)の部屋の窓から落とされた」と推測し、クリスに語ります。

娘が悪魔に憑かれていると確信したクリスは、神父であり精神分析医であるデミアン・カラス神父に悪魔祓いを依頼します。はじめは悪魔祓いには否定的だったカラスでしたが、リーガンの腹部に刻まれた「HELP ME」という文字を発見し、儀式を決意。主任には、悪魔祓いの経験があり、高齢ながらイラクで発掘調査に腐心していたメリン神父が選ばれ、カラスは彼の助手として儀式に参加することになりました。

いざ儀式が始まると、リーガンに憑いた悪魔はメリンとカラスを精神的に揺動していきます。それでも順調に儀式が進むが、途中、高齢のメリン神父が持病の心臓病により亡くなってしまいました。ひとり残されたカラスは、悪魔を祓うことができるのでしょうか?ネタバレになるので、ここでは結末は伏せます。

 

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以上が、この映画のあらすじです。今回はまず『エクソシスト』に対する心理学的な解釈を取り上げたあと、その問題の根本が「父親の不在」にあることを指摘します。最後に、「父親の不在」が映画公開当時から現代にいたるまで連続して存在することを明らかにし、現代アメリカ社会の「悪魔祓い」をまなざしてみたいと考えています。

 

 

『エクソシスト』解釈

 この映画は、アメリカ本国で1973年の興行収入1位を記録し、第46回アカデミー賞を受賞するなど、多くの注目を浴びました。したがって、それだけ多様でたくさんの解釈・批評が存在します。本記事では、『エクソシスト』の心理学的解釈について取り上げ、考察してみたいと思います。

 

 心理学的な解釈については、種村季弘が1974年6月に読売新聞に投稿した「父親なき社会のオカルト-メッセージはアメリカ社会の病理」を取り上げます。種村は、「リーガンの父親(クリスの元夫)の不在」を、心理学でいうエディプス・コンプレックス的な抑圧と結び付けて論じています。すなわち、リーガンの父親における彼女への無関心を契機とした父親像の不在が、「彼女のなかに父なる神の反対像である悪魔を呼び寄せた」というのです。

 

 *エディプス・コンプレックス…フロイトによる概念。男根期(心理性的発達理論における3番目の期間。口唇期→肛門期→男根期→潜伏期→性器期)におこる抑圧。男児にとっては、母親を得んとして父親に対して対抗心を抱くことによる時期であり、女児にとっては、自分にペニスが存在しないことを知ることによる、母親から父親への性愛対象の転換がおこなわれる時期である。

 

種村は悪魔のことを「恐ろしい父親像」と表現しました。リーガンは白い父親(非悪魔的父親像=実父)の帰還を願っていたが、それは叶わなかった。こうして、彼女は無意識に黒い父親(悪魔)を呼び寄せたのだ、といいます。これによって、「『父親なき社会における攻撃性』が彼女のなかに巣食ってしまった」のです。そしてそれは、物語に時折描かれる、スラム街の荒廃・精神病院等の道徳的退廃の描写につながっているのです。

 

このような解釈をもとに、私は「白い父親」について少し踏み込んだ考察をしてみます。

 

考察とまとめ

アメリカ社会における「白い父親」

 当時のアメリカは、東西冷戦など様々な世界的問題に直面していました。たとえば、1962年のキューバ危機、1963年のケネディ暗殺、1965年から始まるベトナム戦争介入、1968年のキング牧師暗殺など、アメリカ社会の抱えてきた様々な矛盾が各事件となって噴出した時代だったのです。そして、このような社会背景のもと、『エクソシスト』が公開されます。

 映画中の「荒廃したアメリカ」描写は、まさにこの状況を表象しているのです。そして現代。この状況は一部改善され、また一部は放置されています。冷戦は終結したが、米中関係や北朝鮮情勢では依然としてロシアと対立したままだし、米抜き核合意は欧州とのすれ違いが見えます。

 

 映画が公開された1973年と現在を比較すると、アメリカ社会はたしかに大きく変化しました。テクノロジーは進歩し、暮らしやすい社会になったものです。

 しかし、抱えている問題の根本は解決されないままです。どんなにエクソシストが(その場しのぎとも言える)悪魔祓いをしても、根本原因である「白い父親」の帰還が実現しなければ、身体に巣食う悪魔は完全に消滅しないのです。