【私見】日本人の「お上の決めたことは絶対」志向について
こんにちは、コガサトシと申します。
先ほど、プロブロガーであるイケダハヤトさんが仰っていた
日本人の「お上が決めたルール絶対視」志向って、いつから発現されてるんだろ?
— イケハヤ@ブログ月商500万 (@IHayato) 2018年8月18日
やっぱり戦時中?島国であることとも関係してるのかな……。
この論点はすごく面白い。変化の激しいこの時代にあっても、呪いのように「お上に従って生きる」考え方が蔓延しているのは確かに不思議です。というわけで自分の見解をアウトプットしてみたいと思います
「お上に従って生きる」=時代錯誤な志向
私は現在、かなり自由な人生を送っている。いわば「群れを嫌い、権威を嫌い、馴れ合いを嫌う、一匹狼のブロガー」とでも言えるか。そんな私だから、イケハヤさんのこのツイートには目から鱗だった。
イケハヤが考える「立派な大人」というのは、
— イケハヤ@ブログ月商500万 (@IHayato) 2018年8月17日
・誰になんと言われようと、自分の道を自分の意思で進んでいる
・不平不満を漏らすなら、行動して変える
・目を輝かせてチャレンジを続けている
・後に続く世代を応援する余裕がある
なんて感じかな。
ぼくの周りには、そんな大人がたくさんいますよ。 https://t.co/O6AlvzZQYt
世間の「立派な大人」像は、実はすべて「お上のいうことは絶対」志向から構成されている。これはじぶんには非常にリスキーで違和感のある考え方だった。全然"変態思考"じゃない。ただただ社会の通念をなぞっているだけ。
まさに、まさにですよ。これはまさしく、思考停止に他ならない。「自分で考えなくても、社会の通念をなぞるだけで生きている時代」というのは確かに存在したかもしれないが、それは現代においては通用しないと、私は思う。
「お上の言うことは絶対」志向。この考え方は、あらゆるコンテキストの中で"日本に特有のもの"として語られる。いわば日本固有の呪いだ。ここで「なぜ日本だけがこの悪弊に倣っているのか」を考えることは、個人的にも、社会的にも、無駄なことではないだろう。
考える前提として - 論点の再調整
イケハヤさんは、この志向を"いつから発現したものか"に着目して論点を提出されているが、これが日本及び東アジア地域で特異な現象であるならば、西洋事情との比較もあわせて行いたいところである。なぜなら、世界の歴史を紐解けば、封建制と強固に結託した身分制度はあらゆる地域に存在したから。
*紀元前にメソポタミア地域でおこった文明では、神官/官僚が強大な権力をもつ神権政治がおこなわれたし、
*古代ローマ帝国の系譜をたどる中世西ヨーロッパ地域は、領主⇔農奴の封建的主従関係が近代まで固定化した。
*また日本や中国など東アジア地域においても、封建的な小作人制度は名前や特性を変えながら変化していく。
*もちろん近代資本主義の餌食となったアフリカやラテンアメリカ、東南アジア地域は「国レベルで搾取対象」であった。
このような身分制の歴史は世界中いたるところに存在する。すなわち「お上の言うことは絶対」の風潮は、日本固有のものではなく、世界中どんな地域でもそのルーツは持っていた、ということ。
そこで考えたいのが、ではなぜ日本だけが特筆すべき特徴として「お上は絶対志向」を抱えているのかという点。ここまでくると、「なぜ日本にのみ発現したのか」ではなく「なぜ日本以外は発現を回避できた(打ち破ることができた)のか」と論点を調整しておいたほうがよかろう。
なぜ日本以外は発現を回避できた(打ち破ることができた)のか
簡潔に言えば、「他の国・地域は、身分制を下から破壊することに成功したから」
その最も象徴的な時代が18世紀だ。この時代は、欧米地域で「産業革命」「アメリカ独立革命」「フランス革命」の3つの大事件が立て続けに発生し、圧迫されていた市民層が自由という凱歌を挙げることに成功した。
とりわけフランス革命では、市民の権利は明示的にあらわれる。第三身分とよばれた市民たちは、三部会開催を実現し、憲法改正のために立ち上がった。その結果、「人権宣言」を制定し、さらには共和政を実現させることができたのだ(その後ナポレオンによって崩壊するが)。
中国においても、20世紀初めに「辛亥革命」とよばれる象徴的事件がおこり、中華民国が建国された。それまでの満州人による支配からの脱却とともに、共和政を実現したのだ。
このように、外国では「下から身分制を破壊する運動」が展開された。これはいわば「権力に対抗した歴史」であり、ここから「お上は絶対志向」が発現されることはまずないだろう。
しかし、日本では、大化の改新しかり、江戸の3大改革しかり、明治維新しかり、どの改革も上からのものであった。日本には「下からの革命」は起こらなかったのである。逆に、あらゆる改革が「上からの改革」であった。日本が「お上は絶対志向」をかかえる要因は、まさにこの点である。
日本人は、これからどう生きていけばよいのか
現代にとって「お上は絶対志向」が時代錯誤の思想であることは、先ほど述べたとおりである。ではどうすればこの妄執を打破することができるのだろうか?
歴史からみると、下からの革命を起こすしか道はない、といえるだろう。このまま上に従い続けていても、何も変わらないし、その一方で外国はますます驀進していってしまう。
ただし一点。革命を起こすしかないといったが、なにも暴力革命である必要はない。今や個人の時代だ。インフルエンサーなんて言葉もあるが、個人が社会の流れを作りかえることができる時代なのだ。
日本人は、この時代に合った方法で、革命を起こすべきだ。思考停止を打破するためには、思考しなければならない。思考し、この時代に求められている我々日本人のあり方を見つめなおさねばならない。それが革命である。
と、何だか運動家のようなことを申し上げてしまったが、要は「自分で考えろ」ということだ。繰り返すが、思考停止を打破するためには、思考するしかない。
日本人よ、思考せよ。
イケハヤさん、かなり面白い論点を提示してくださり、ありがとうございます。事後報告となって恐縮ですが、勝手に論点をつまみ食いしてしまったことが、イケハヤさんの気に触れてしまったなら申し訳ありません。
機械に仕事を奪われる時代はもう始まっておるよ。同志よ、今こそ挑戦の時だ
AIで「コミュ力」を採点するシステムが某企業で採用されるらしい
目的は、コミュ力を採点することによって、じぶんの営業力を自覚し高めていくため。
というのも、じぶんのコミュ力をじぶん自身で定数化して測ることは非常に難しい。したがって、AIが膨大なビッグデータをもとに営業マンの表情や話し方を採点して、相手に与える親しみやすさとかを定数化するシステムが生み出された。
AI なら信頼できるデータに基づいて判断するし、営業力をアップデートするには便利かもしれない。でも、ちょっと「ん?」って感じないだろうか?少なくともじぶんは、このシステムに違和感をおぼえた。
それはおそらく、「AIが」人間を「ビッグデータという型を用いて」分節していくことに対する反抗心だ。ここには2点ポイントがある。「AIが」という評価主体の話と、「ビッグデータという型を用いて」という評価基準の話だ。
第一に、評価主体の話。これまでわれわれは、人間の価値を図るときは、機械ではなくわれわれひとりひとりに固有の価値基準をもって評価してきた。たしかに企業の採用活動や学校での成績評価において客観的な基準を設ける例はある。しかしこの例でも、評価する主体は人間であり、最終的にすべて彼らの価値基準に委ねられている。
従来は人間が価値判断の主体であったが、今回、その座をAIに譲ることとなる。これが第一の反抗心だ。
第二に、評価基準の話。これまで、あらゆる人間評価は、評価主体であるわれわれ固有の価値基準を以て行われてきた。それがビッグデータに置き換わるのだ。ここで用いられるビッグデータがいかにわれわれを標本として抽出されたデータであっても、価値尺度をわれわれの外部にあるメディアに委ねることに反抗心を抱くのは何ら不思議な話ではない。
このように、評価主体と評価基準をAIという外部システムに明け渡すことに対して、われわれは反抗心を抱く。時代の流れといってしまえばそれまでだが、人間評価のあり方も機械に委ねられるようになるとは思いもしなかった。
この先の未来、このような「まさかこれを機械がやるなんてことはないだろう」と思っている仕事でさえも、どんどん機械が代行していくだろう。「AIによるコミュ力採点」に対して抱いた反抗心は、今後も増幅しつつ頻繁に姿を現すようになるだろう。このような時代にあっては、「われわれ人間には何が残されているのか」を常に考え続けなければいけない。考え続け、その答えを逐次先取りしつつ実行していかねばならない。
「機械にあらゆる仕事を奪われる」時代は、すでに始まった。もう、未来の話として思考停止するのはやめにしないか。我々は、この時代に対する漠然とした危機感を、圧倒的な思考能力によって乗り越えなければならないのだ。
本棚って恥部でしかない。
じぶんは、【他人の本棚】に心惹かれ、
友人宅を訪問するたびに
→①どんな本が並んでるか
→②(2回目以降)新着図書があるか
を、くまなくチェックしている
どこまでも不思議なクセです。
本屋に行くときも、
隣で立ち読みしてる人が、どんな本を買うのか
毎回買い物カゴの中身チェックしてしまう(絶対あやしい)
このクセを自覚したときから、
どうして人の読む本なんかに興味があるんだろうって
ずっと考え続けてきました。
それはズバリ
【他の人の考え方や生き方が気になる】から。
じぶんは 少し変わった思考回路を備えている自覚があるので、
他の人たちがどんなふうに考えて生きているのかを
常に気にかけています。
※真似したり、合わせたりするためじゃないです。
他の人との違いを自覚することが、じぶんならではの個性を意識して高める
それにつながると考えているからです
■それでは、なぜ本なのか?について。
→【人の生き方は、読む本にあらわれる】ということに気づいたから。
たとえば、
*哲学の本を買うひと→哲学に興味がある/なにかに悩んでいる
*政治の本を買うひと→いまの政治にギモンをもっている
*統計学の本を買うひと→分析できるようになりたい、と思ってる
etc...
何かに悩んでいたり、疑問を持っていたり、目標を持っているひとが、
その対象となる分野の本を購入する、そう考えているんです。
あと、友達の本棚で意外な本を見つけたとき
すっごくイケナイことしちゃった気分になります。これが最高。
すごい大人しくて優しい友達の本棚に
893の本とかあったら びびるでしょ
場合によるけど、意外な一面を発見!ってかんじで
これもおもしろい
そう考えると、「本棚=恥部」
未開の本棚に臨む欲望は、まさしく性欲そのもの
この変態的なクセは
①(知らない人であっても)そのひとがどう考えてるのか知りたい
②本棚を覗いて意外な一面をキャッチしたい
っていう欲に突き動かされてるんです
あなたは最近どんな本を読みましたか?
ぜひ教えてください。ふふふ
図書館で出会ったおじいちゃんの勉強意欲に感動した話。【人生死ぬまで勉強】
今朝、図書館に行ったら
知らないおじいちゃんが、プログラミングの本を借りていた
プログラミングとかwebって
若い人の言葉だから、高齢の人にはあまりなじみがないんだろうなって思ってた。
でも、そんなことはないんだ。偏見に反省。
【人生死ぬまで勉強】
これを座右の銘にしてる友人がいるのですが、
このおじいちゃんは、いわばその友人の
先輩にあたる勉強家さん。
今までも、いろんなことを勉強し続けてきた人なのかなあと思いました。
勉強し続けるひとに悪いヤツはいない!
¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨
おじいちゃんは、どうしてプログラミングの本を借りたんだろう
帰ってからずっと考えてました
「おじいちゃんがプログラミング!?」っていうギャップに
すごく興味を持ったので。
「今までずっと手書きでやってた家計簿を デジタル化したいのかな」
「じゃあなんでデジタル化したいって思ったんだろう」
「きっと、〇〇なんだ…etc.」
こういう妄想を、いくつも繰り広げておりました
どんな理由であれ、
「おじいちゃんがプログラミングを勉強する」ための
【動機】が存在するわけで。それがすごく気になります。
アァ、おじいちゃん…
話しかければよかったかな
¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨¨
P.S.
ちなみに、じぶんも勉強大好きです。
図書館は友達だし、本屋にも週7で通います
大学教授もだいたい友達です。
(一番仲良い教授とは、100回以上飲み行ってます)
この前、仲良しの日本経済史の教授と、
今話題の「空き家利用」について無限に語り合ってました
「脱・コミュ障」指南。"脱・コミュ障→最高のコミュ力を手に入れた男"の体験談。
じぶんの周りには、驚くほどいろんな人がいます。
*ポジティブすぎてどんな時も楽しくできちゃう人
*メチャクチャ勉強大好きで、知識量が豊富な人
*誰にでも優しくてみんなに慕われてる人
*ネガティブだけど、注意力がすごい人
*目標に向かってとにかく突き進む人
*短気で、すぐに怒る人
*人の話を聞くのが上手で、常にみんなから相談される人
*笑顔が素敵で、自然と周りを明るくさせる人
などなど
その中に、「私(僕)、人見知りでコミュ障なんです」って人がちらほら。
逆に、「じぶんコミュ強で、コミュ力では誰にも負けません!」って言える人はめったに聞かない…なんでだろ
さて、今回はそんな「コミュ障」の男の話。
彼は高校時代、とにかくコミュ障だったらしく、
おひとり様ランチは当たり前、だれとも何も話さない日さえあったという。
数年前、そんな彼が大学へ進学する。
コミュ障だった彼は、これはいかんと思ったそうで、
「華の大学生。憧れのキャンパスライフを実現させたい」
その一心で、脱・コミュ障を決意することに。
コミュ障だった男が実践した「裏ワザ」
そこで、彼は戦略を立てることになった。
まずは情報を集めよう。と思い、
この本を購入。安田正著『超一流の雑談力』
彼の話によれば、彼はこの本の"47ページ"を読んで
心を雷に打たれたような衝撃を味わったらしい。
そこには、こう書かれている
人見知りとそうでない人の差は何かというと、「場数」や「経験」の問題になってきます。さまざまな人に会う中で耐性がついていき、徐々に、あるいは何かをきっかけとして劇的に改善されていくものなのです。
…そうか!俺には経験が足りなかったのか!
確かに高校まで誰とも喋ってこなかったし、メチャクチャいろんな人と関わってるウェイたちには敵うはずもなかったんだ…!
そう気づいた彼は、こんな目標を立てる。
「半年で100人以上と飲みに行く!」
50人だと1クラス分だし、100人は彼にとって丁度いい数値だ。
こうして目標を立てた彼は、具体的な戦略を考えていった。
…クラスは大体40人くらい。クラス全員と飲みに行っても60人足りないな。
そこで思いついたのが、「友達の友達と飲む」作戦。
友達と飲むときに、その友達の友達を連れてきてもらい、その人とも飲む。そうすることで、余裕で100人と飲めるし、もしかしたらそれ以上のものを得られるかもしれない。そう考えたそうだ
しかし、「知らない人」と飲むのは、彼にはとても難しいことだった。根っからのコミュ障だった彼には、そんな難題は非常に高い壁だ。
ところが、彼はそれを実現させてしまう。
(見習いたい、この行動力。この話を聞いた瞬間、じぶんは彼に弟子入りすることにしました。勝手に。)
さて、実現まで踏み込んだものの、彼にはやはり不安があった
…クラスの友達の友達なんて、ほとんど知らない人じゃないか!
彼は、次にこんな作戦を立てる。
その名も「事前リサーチ」作戦。
すなわち、一緒に飲むことになった友人にその人の興味あることを教えてもらい、事前にリサーチする作戦。彼は、その人の興味について、調べて調べて調べまくったそうです。
こうして、「友達の友達」飲みが始まる。
彼は友達やその友達の好きなことを事前にリサーチしていたので、話をするのに苦労はしなかった
それどころか、とにかく話が合うので、会話は弾みに弾んでしまった。彼はこの当時を思い出して、「自分にこんな話す力があったのか!」と語る。
飲み会は大成功におわった。
同時に、彼の最初の作戦も、華々しい成果を遂げて終了する。
この時から、彼に異変が起き始めます
なんと、「次はだれと飲もうか、ワクワクするようになった」らしい。意識の変貌ぶりにビックリだ
こうして半年。ねずみ算さながら増えていった彼の人脈は、100人をゆうに超していた。そして今でも彼は、さらなる高みを目指して「友達の友達」作戦を継続中である
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人は変われる。
彼にとってのターニングポイントは、やはり大学入学であり、『超一流の雑談力』との出会いだった
ぜひあなたも読んでみて。
買うなんてことしなくても、たくさんあるレビューをいくつか眺めるだけで、内容は推測できるはずです
彼は、この本の47ページを読んで変わりました。
ひとが変われるのって、たった1ページ読むだけでいいんです。
ウン万円するセミナーなんて受講せずとも、
1ページ読むだけ。
じぶんも変わることができました。彼に感謝。『超一流の雑談力』47ページに感謝。