「本質をみる」思考とは?なにかを比較して考える際の注意点!

 

われわれは、何かと何かを比較するとき、

「ナマの実態A」と「ナマの実態B」を直接比較できていない

 

どういうことかというと、

われわれは、「ナマの実態A」と「ナマの実態B」を対置させずに、

意図的に基準をつくっているんだ。

(これによって、比較がしやすくなる)

 

*モノ同士の比較の場合

 

りんごとバナナを比較するとき、

りんごそのものとバナナそのものを比べずに、

「色」っていう基準を設ける。

そうして、

りんご=赤、バナナ=黄】

こういう比較結果を得る

 

*人同士の比較の場合

 

人と人を比べるときも、同様。

例えば、「身長166cmのAさん」と「身長176cmのBさん」を比べる場合、

この場合は 「身長」という基準を使って

【Aさん<Bさん】っていう比較結果を得るんだ。

これは、基準が体重でも年齢でも住んでるところでも同じ

 

(身長で比べるの、ざんこく…だよね…)

 

◎(参考)えらいひとの おことば

私たちが比較しようとしているものは、「制度」であれ、「数値」であれ、「人々の身体」であれ、実際には、さまざまな部分や要素から構成されているものである。そして、それらの対象物は、光を当てる角度を変えられることによってさまざまな形=意味=をもって私たちの前に姿を現すことになる。

 

今年70になる知らないおじいちゃんが言ってた。

つまり、「ひとつの見方だけで比較するのはバカだ!」ってこと。

 

じゃあ、どうすればいいのか??

 

→常にほかの可能性を考える。

比較するなら、ひとつの見方だけじゃなくて、

常にほかの見方に注意する。

 

横からみたら□でも、上からみたら◯に見えるかもしれない。

斜め上から見たら△になるかもしれない。

イメージはこんなかんじ。

 

常にほかの可能性を意識する

これを根気よく続けることが、「本質をみる」思考につながっていくんだ

 

※これ、おじいちゃんは毎日実践してるらしい

  たしかに、話してることの「深み」が

  フツウの人と全然ちがう。きがした。