「"みんなやってる"=思考停止。じぶんの人生だ、自分で決めよう」って話
どんなことであっても、
人と違うことをすると 注目の的になってしまう
*みんながアメを舐めているのに、じぶんはガムを噛む
*みんなが〇〇党に投票するけど、じぶんは△△党に票を入れる
*みんなが頭から洗うけど、じぶんはケツから洗う
*みんながトイレでうんこするけで、じぶんは草むらで
*みんなが部屋d などなど
「じぶんだけ違うことをする」これは恐ろしいもので
どんなことでも、人から注目を浴びたり
さらにひどいことには、奇異の目を向けられ、投獄されるなんてことも…
こんなこともあって、「人と違うことをする=恐怖」ととらえるひとは多い
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だから人は、
受験、就職、結婚…みたいな、人生の大事な選択局面であっても
みんながみんな、同じような道を選ぶことが多い
*みんながそうするから、偏差値の高い大学を目指して、
*みんながそうするから、大手企業に就職して、
*みんながそうするから、安定感のある人と結婚して、…
ある意味、思考停止状態ではないでしょうか。
この記事を読んでいるあなたも、もしかしたら
「ギクッ」となる点があるかもしれない
こういう選択って、ほぼ無意識のうちにやっちゃうから、恐ろしい。
「人と違うことをする=恐怖」ととらえるひとが多いって言ったけど、
本当はこっちのほうが、何倍も何10倍も恐怖なのかもしれない
もちろん、十分考え尽くした上で「高学歴」を選び、「大手企業」に入る人はいます。
でも、その数の、なんと少ないことか。
体感の話になってしまいますが、私の出会った人間は、
高校3年生でなんとなく受験勉強をして
大学4年生でなんとなく就職活動をする
付和雷同な人がほとんどです。
これを読んでるあなたがもし高校3年生、大学4年生の人だったら、ぜひ考えて欲しい。
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とはいえ、たしかに「みんなが選ぶ道」っていうのは、
それなりの安定があるし、もしかしたらこれが「生きやすい道」なのかもしれない。
・偏差値の高い大学に入ると
→就職で有利になって、大企業に入れる
・大企業に入れると
→安定した経営基盤に高収入、充実した福利厚生を得られる
悔しいけど、これは紛れもない事実。
大河の流れのように、安定して、大きな波風の立たない人生を歩むことができる
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でも、ひとつ疑問を持っちゃうことがある。
「じぶんの人生を、じぶんで決めない」
これこそが、本当の恐怖じゃないの? ということです。
現代社会。
職業選択の自由が憲法で保証され、
インターネット普及によって多様な職業が登場した。
じぶんの生き方をじぶんで決めない、思考停止人間は
抗う隙もなく、淘汰されてしまうでしょう。
恐怖。恐怖なのです。
ちなみに、古代〜中世の封建社会では、職業選択は「世襲」がほとんどで、
じぶんが本当にやりたいことができたのは、ほんの一握りでした。
近代においても、「資本家ー労働者」の身分格差は巨大で、
そのシガラミから抜けるのは、針の穴にラクダを通すよりも難しい。
「じぶんの生き方を、じぶんで決められる」っていうのは、
実は現代社会に生きるわれわれの特権なんです
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これをまとめると、
「じぶんの人生を、じぶんで決めろ!」ということです。
※これには難しいことがひとつあって、
「人と違うことをすると、たちまち注目の的になっちゃう」ってこと。
これが怖くて、じぶんの人生を周りと合わせちゃう人も多いと思います。
でも、これはただの強迫観念で、洗脳によって生み出されてしまった幻想なんです。
(これについては、別記事で書きます。)
※ちなみにじぶんは、「じぶんがどう生きたいのか」常に考えてます。
1分1秒、欠かさずに…